昭和40年代の小学校あるある

こんにちは スティルプレイスです

私は昭和34年生まれなので昭和41年に入学しました

今から56年前の話なので記憶が曖昧ですが

最近の子供とは違った小学生の頃のお話をします

小学校入学式の前に身体検査があった

幼稚園も卒園して小学校の準備をする頃に身体検査をする日がありました

通うのは当時住んでいた名古屋市北区の東志賀小学校でした

母と一緒に小学校に向かい身体検査を受けました

身長や体重測定 医師から聴診器の検査 目の検診などがありました

母は離れたところで見ていましたが 一人で受けるのを怖がって泣いている子もいました

色盲検査とか知能の検査などは母が寄り添っていました

色盲の検査は難なくクリア 知能の検査はよく見れば分かります

絵柄を見せて「絵の中におかしなところがあるかな?」と先生が聞き

絵を見るなりすぐ分かりました 雨が降る中花壇のお花にお水をやっているのです

簡単な間違い探しのような問題です それで難なくクリアです

気はすすみませんでしたが あとは無事に入学式に行くだけです

小学校一年生の時だけ黄色い帽子だった

無事に入学式も終えいよいよ登校することになりました

小学校は基本グレーの帽子ですが一年生だけは黄色の帽子です

まだ右も左もわからない小さな子供ですから黄色で見守りやすくしたのでしょう

一ヶ月ぐらいは左手の腕に横断歩道を安全にの腕章をつけていました

しばらくは授業は半日でした 掃除も上級生がしてくれました

小学校の給食はとにかくおいしくない

しばらくすると午後の授業も始まり給食が始まりました

給食係も1週間おきに交代していました

昔とはだいぶ変わってしまったでしょうがパン食でした

パン マーガリン 牛乳 メインのおかずに副菜かおやつがついていました

パンは五枚切り程度の白い食パンで一人3枚でした

たまに黒糖パンがありましたがコッペパンや揚げパンなどは当時はありませんでした

ほぼ毎日マーガリンがついていましたがたまにジャムの時がありました

四角いハムにマヨネーズがついてたり 

自家製のホイップしたクリームがついてたりしたこともありました

カスタード風ですがチョコ味の時もあり 係がスプーンでよそっていました

パンの味も悪いですがこれはあまり美味しくありませんでした

この時代もパンの代わりにソフト麺がありました

おかずのカレーをかけて食べるのでとても人気がありました

おやつに安倍川餅 ぜんざい アイスクリーム 冷凍みかんなどがありました

これらは美味しくていいんですが問題はおかずです

「おかずが食べられません」と先生に言うと「では半分だけ食べなさい」

無理して食べなくてもいいよと言ってくださる先生はあまりいません

おかずを残すことは許されない行為

一ヶ月の献立表がありますが美味しいと思ったものが少ないんです

現在の給食はバラエティーに富んでいていろんな美味しい物に恵まれていますが

給食を作っているおばさんには悪いんですがおいしいものが少なく

今このようなものが出たら現代の人々ははびっくりするでしょう

給食室からいい匂いのする豚汁はとても期待できましたが食べたら全然でした

和食とかが多いんですが和え物 炒め物 フライもの 汁気のもの

味が薄くてしっかりした味付けがしてありません

栄養士がきっちり計算して出しているのでしょうがみんなには不評でした

ただ家では食べられない美味しいものもいくつかありました

マカロニのクリーム風煮込み コンビーフ 安倍川もちはとてもおいしく

あの味を家で再現して食べることはもうできないでしょう

学校でうんこすることは恥ずかしいこと

みんな言うんですけれども小学校でうんこをした覚えがないんです

女の子は個室だから良いんですけれども男の子は個室に入ったらバレバレです

多少便意を催しても我慢してうちまで帰ってするのがみんなの考えでした

「〇〇のやつさっき学校でうんこしたぞ~」

「〇〇のヤツ隣のクラスの多恵子のことが好きなんだってよ~!」

今から考えると笑い話のようなバカバカしい話ですが

こういうこと言われるのは小学生の時ってすごく嫌でしたよね

予防接種の針は使い回し?

小学校の時って年に1、 2回注射ってありませんでしたか?

みんなそうだと思いますが注射ってすごく嫌だったですよねえ

保健室の入り口には生徒の列 学校生活で一番嫌な時間です

注射の終わった生徒が帰るとき必ず「痛かった?」と必ず聞いてました

助手をしていた保健室の先生が煮沸消毒をしていましたが

一本の注射器で一人の生徒に注射をしているわけではなく

一本の注射器で3人に分けて注射をしていたのです

今このようなことが行われているとしたら大問題ですが

当時はそれが当たり前のように行われていたことにびっくりです

おなかに虫がわいた 蟯虫検査とは

今の若い人にはわからない話でしょうね

小学校の時だけだったと思うんですが回虫や蟯虫検査が年に1、 2回ありました

回虫の検査は朝指先程の大便を検査の袋にいれて学校に提出します

蟯虫の検査は朝起きて一番におしりの穴の周りにセロハンのような検査シートを貼り付けて

すぐにはがし検査袋に入れて学校に提出すると1週間後に結果がわかります

回虫と蟯虫はお腹の中にミミズのような虫が湧く寄生虫です

回虫は腸の中に脇10cm未満のミミズのような生き物です 検便でわかり ます

蟯虫は1センチ程度の寄生虫で産卵のためにおしりの穴の周りに卵を産み付けます

シールのようなセロハンを貼り付けると卵がついているので検査でわかります

朝方おしりの穴の周りがかゆいのでなんとなくわかります

1週間後に寄生虫がいたぞと先生から発表されるとちょっと恥ずかしい事がありました

母が薬(虫下しとよんでいました)を買ってきてくれて服用したらそれで終わりです

チョコレートの薬で副作用で30分後に視界が黄色くなったのを覚えています

当時は生野菜などサラダで食べる時にキャベツなどに寄生虫の卵が付着していることはよくありました

現在は農薬など寄生虫を除去する方法がありますので少なくなりましたが

当時は結構ありました 栄養がすべて寄生虫に取られてしまい餓死することもあったそうです

父方の祖母はそれで亡くなったそうです お腹から大量の虫が出てきたそうです

現在の医学では少々の寄生虫がいた方がいいそうです

極度のアレルギー反応などが低下するそうです

除菌とか滅菌とか綺麗すぎるのもどうなんでしょうね

土曜日は半日授業 振替休日は一切ない

祝日自体は昭和40年代から令和5年にかけて3日ほど増えているだけですが

昭和の頃は祝日と日曜日が重なっても振替休日になることはありませんでした

せっかくの祝日がなくなってがっかりした覚えがあります

土曜日も普通に学校の授業がありましたから今より45日も多く出ていたのです

ですからカレンダーを見て嘆くのも当然なのです 

ため息もでますよね

悪いことしたら先生から平手打ち

近所の小学校で現在の先生を見ていて思うことがあります

ずいぶんお兄さんお姉さんみたいな感じの先生が多いなと思うのは私だけでしょうか

小学校中学校高校を通して先生の雰囲気っておじさんやおばさんのイメージがあります

ベテランの教師や教頭先生や校長先生はなどは祖父祖母の年代のイメージがありました

先生というのは聖職者のイメージがありますが

生徒を教育するという観点から見ますと間違ったことを正すということは

厳しい言葉で𠮟ったり暴力を使って教育するということは

両親祖父母の時代からずっと受け継がれてきたことなので

愛のムチと考えみんな当たり前のように思っていました

小学校六年生の時に結構人気のあった先生が担任でしたが

あるとき女の子を含む生徒6人が危険な遊びをしていて

ほっぺたに手のひらの跡がつくぐらいビンタをされていました

午後の授業を一時間潰して反省文を書かされました全員共同責任です

一年間で一番苦い思い出です みんな覚えているかなあー

体育の授業の着替えは男女同じ教室で

小学校も5、6年になるとみんな思春期になり男女意識し始めます

小学校の体育の前に体操服に着替える時同じ教室で着替えていたのを覚えています

今の小学生の教室内の着替えってどうなんでしょう いろんな問題を孕んでいませんでしょうか

昭和の時代とは物事に対して結構ざっくりしていたことが多かったような気がします

まあ私も昭和の時代の人間なのでこういうものがあっているのかもしれません

皆さんもあーそんな時代があったよねと言ってくれると嬉しいです

今日は昭和の小学校のあるあるネタを語らせていただきました

スティルプレイスでした またねー

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