こんにちはスティルプレイスです
今日は遠い昔の60年前の記憶をたどりながら
初めて通った中村保育園と母勤めていたアオキスーパーのお話をします
60年前の名古屋市中村区の風景
参考資料(ameblo.jp)から引用
参考資料広小路 (la9.jp)から引用
昭和37年といえば新幹線の開通 東京オリンピックの開催の2年前
私が3歳になる直前ぐらいでしょうか 名古屋が都市らしくなる頃のお話です
当時父と母と私が緑区の鳴子団地に住んでおりました
母は私が保育園に通うことを前提に中村区のスーパーに勤めることになりました
保育園のひとつだけの鮮烈な記憶
通っていたのは名古屋市中村区の中村保育園というところです
名古屋駅から市電で中村公園を超え稲葉地方面にスーパーと保育園がありました
2歳の頃までは記憶がたどれますが なぜかその保育園の記憶がほとんどないんです
風景は分かりますが先生がどんなだったかどんな友達と遊んだのか全く記憶にありません
一つだけ記憶にあるとするならば予防接種の日だけです
予防接種からの逃亡
その日あるとき予防接種があるのを気がつきました
注射だけは絶対に受けたくありません
それを知った時に逃亡することを計画しました
通園が終わると門が閉じられます 塀の上には何故か鉄条網がありました
しばらくすると門が開いていました よく確認をしたのです
ついに注射で並んでいる時に保育園の門からいちもくさんに逃げたのです
見張っていたのでしょうか あっという間に先生に捕まりました
母親も駆け付け あえなく注射をされてしまいました 大泣きです!
強烈な思い出ですが記憶はこれひとつです(笑)
アオキスーパーの思い出
(この春近所に出来たアオキスーパー)
白黒の写真は東京のとある商店街の写真です 手前の商店の雰囲気が似ています
最近4月に近所にもアオキスーパーができました 上右の写真です
アオキスーパーは当時は青木商店といっていたのだそうですが
お米とか大豆とか野菜果物 味噌に醬油 菓子類などを扱っていた商店でした
露天で10人ほどが働いていたの中のひとりが母でした
商店では従業員の宿舎としてアパートの一室で雑魚寝していました
父がタクシーの運転手をしていて一日おきに鳴子に帰ってきていましたので
こちらも中村と鳴子を行ったり来たりでした
こちらでは思い出がいろいろありました
従業員のおじさんたちがバナナをくれたり
分銅で測る大きな秤に乗せてもらって体重を量ってもらったり
保育園から帰ると母親にせがんで生せんべい(知多の餅菓子)を買ってもらったり
お昼のごはんどきに洋食屋でカレーライスを食べに行ったり
いたずらの盛んな私は食品貯蔵庫に入れられたりおしりをたたかれたりしました
寮に閉じ込められておしっこを漏らした覚えもあります
画像資料 girlschannel.netから引用
10円持って近くにあった駄菓子屋に行ったことを覚えています
私よりも大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんの間を右往左往して買った覚えがあります
初めてのおつかいのようです 水飴を買った覚えがあります
町は整備されていましたがふたのない側溝に足を取られて落ちたことがあります
当時は「ドブ」と呼んでいましたね 痛い 思い出でした
母のお腹が大きくなるまでの短い思い出でした
昭和37年の懐かしい思い出でした ありがとうございました
スティルプレイスでした
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